同じネタで書いていて芸がないなと自分でも思うけど、いいものはいいのだから今日も書きます。
大好きな茨木のり子の『落ちこぼれ』という詩。
落ちこぼれ
和菓子の名につけたいようなやさしさ
落ちこぼれ
いまは自嘲や出来そこないの謂(いい)
落ちこぼれないための
ばかばかしくも切ない修行
落ちこぼれにこそ
魅力も風合いも薫るのに
落ちこぼれの実
いっぱい包容できるのが豊かな台地
それならお前が落ちこぼれろ
はい 女としてはとっくに落ちこぼれ
落ちこぼれずに旨げに成って
むざむざ食われてなるものか
落ちこぼれ
結果ではなく
落ちこぼれ
華々しい意志であれ
読めば読むほど味わいが深くなるというか、今まで気づかなかったことに気づきます。
「いまは自嘲や出来そこないの謂」とあるように、落ちこぼれは自分への評価と他人からの評価の二つの側面で使われることが多いです。
他人からの評価はわかりやすく、学校や営業の成績だとか、言動だとかといった「結果」に対しての価値づけです。
他人が「結果」にどう価値づけるかはコントロールできないので、他人からの評価を過度に気にしてもどうしようもありません。
それよりも重要なのは自分への評価ではないかと思います。
自分への評価はどこまでも自分が行うもので、他人はコントロールできません。
逆を言えば、自分で自分を認めようとしない限り、いつまでたっても、何をしても落ちこぼれのままとなってしまいます。
自分で認めてあげられないというのは悲しいことです。
自分で自分を認めてあげられないから、「ばかばかしくも切ない修行」ばかり積み重ねてしまうのですが、本当に必要なのは「自分はこれでいいのだ」と受け入れようとする姿勢なのではないでしょうか。
『落ちこぼれ』は自分で自分を認めてあげる大切さを伝えてくれています。
そうはいっても簡単にできないのが人間。うさぎも自分を認めてあげられないことがほとんどです。
だからこそ詩は立ち止まらせ、ひと呼吸つかせ、汗をぬぐってくれる存在なのです。
視野が狭くなった、考えが凝り固まったときに風通しをよくしてくれるのが詩だと思います。
うまくいかないとき、モヤモヤが晴れないとき、一篇の詩が支えてくれることがあります。
心を奮い立たせる詩を携え、今日を生きていきたいものです。