宮沢賢治と聞けば、『銀河鉄道の夜』や『風の又三郎』を思い浮かべることが多いかもしれない。彼はすぐれた作家であるとともに、詩人としても多くの心を灯す詩を残している。
彼が生前、唯一刊行した詩集の表題作であるとともに終生のテーマであった『春と修羅』。詩の中で自身を「修羅」と呼ぶ個所が二つある。
いかりのにがさまた青さ
四月の気層のひかりの底を
唾し はぎしりゆききする
おれはひとりの修羅なのだ
まことのことばはうしなわれ
雲はちぎれてそらをとぶ
ああかがやきの四月の底を
はぎしり燃えてゆききする
おれはひとりの修羅なのだ
春と修羅(mental sketch modified)
「修羅」は「阿修羅」の略で、修羅道は仏教でいう畜生道と人間道の中間に位置する世界とされる。悪意と善意とに引き裂かれ、苦悩し争い続ける存在である。
四月。日に日に暖かさを増し、緑映える美しい季節。花が咲き鳥が歌う外界と裏腹に終わらない闘争の炎を抱え、「おれ」は四月の底を歩く。
「おれ」はいつかの自分だ。すでに去った、あるいはこれから訪れる、自分という存在に葛藤し、戦う自分をうつした姿が「ひとりの修羅」だ。
人は誰もが心の内で終わらない闘争に明け暮れ、見えない血を流している。
四月。期待と希望に輝く季節の下を今日も「修羅」は歩く。