花を描きたいと思い、絵筆をとった。
パレットに絵の具を出し、白い紙を広げ、筆先に赤を滲ませ、そこで、手が止まる。
何を描けばいいのかわからない。
花を描きたいのだ。では、どんな花?色は?形は?大きさは?
頭にイメージはある。それを紙に写すだけだ。なのに、筆は中空で止まったまま。
イメージはあるのだ。花を描きたいのだ。慎ましく、たくましく、美しい花を。
手はいっこうに動こうとしない。
頭でイメージしていることと、実際に行動することとの間には、遠く、深い谷がある。
向こう側は見えているが、橋を架けないと渡れない。その橋も堅牢なものではなく、ふらふらと不安定な、頼りない橋だ。
橋の手前で怖気づいたり、渡っている途中で身動きが取れなくなったりして、行動にまで移せないことが多い。
絵に限らず、スポーツでも歌でも楽器でも、イメージの通りに体を動かすというのは生易しいものではない。
人は、自分が足を止めてしまったその先を歩く人に敬意を抱く。
熟達した技術にではなく、怯えながらも橋を渡ろうとする姿勢に。
怯えないことがすごいのではない。怯えながらも一歩を踏み出すことがすごいのだ。
怯えながら一歩を踏み出す者がアーティストと呼ばれるのかもしれない。