落ちこぼれ 茨木のり子
落ちこぼれ
和菓子の名につけたいようなやさしさ
落ちこぼれ
今は自嘲や出来そこないの謂
落ちこぼれないための
ばかばかしくも切ない修業
落ちこぼれにこそ
魅力も風合いも薫るのに
落ちこぼれの実
いっぱい包容できるのが豊かな大地
それならお前が落ちこぼれろ
はい 女としてとっくに落ちこぼれ
落ちこぼれずに旨げに成って
むざむざ食われてなるものか
落ちこぼれ
結果ではなく
落ちこぼれ
華々しい意志であれ
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生きていると耐えられないほどつらい時がある。
周りからも見下されるのもつらいが、自分で自分に失望することがなによりつらい。
何で自分はこんなにダメなんだろうとため息ばかりつく時がある。
そんな時にこの詩と出会った。「落ちこぼれ」と聞くと、マイナスのイメージがつきものだ。ところがこの詩では「落ちこぼれ」は「やさしさ」であり、「魅力」や「風合い」をもつものだとほめたたえている。
「頑張れ」とか「諦めるな」といった言葉は出てこない。それでも、背中を推してくれるような、手を引っ張ってくれるような力強さがある。
人生は、落ちこぼれないのがいいのだろうか。
人生で、一度たりとも、落ちこぼれたことがないという人はいるのだろうか。
一度でも落ちこぼれたら、一巻の終わりなのだろうか。
そうだとすると、人生とは、落ちたらおしまいの綱渡りではないか。常に落ちこぼれることを恐れ、びくびくと震えながら一歩を踏み出す。緊張と恐怖に包まれているのが人生なのだろうか。
成長し、落ちこぼれて、またそこから芽を出す。
これを繰り返すことが人生ではないだろうか。
私が落とした実は、いつか、どこかで芽吹き、花を咲かせるかもしれない。
誰かがそれを見つけ、心を慰めたり、孤独を紛らわせたりするかもしれない。
そうして、また次の実を落とすのだろう。
そう考えると、私も、いつかの誰かの落ちこぼれの花を拾っていたのかもしれない。
時代を、人種を、場所を越えて、誰かの苦悩が私の糧になっている。
そうやって思いを紡ぎ、人は人とつながってきたのだろう。
私は今まで、どれだけの花に支えてもらったのだろう。
私は今まで、どれだけの実を落としてきたのだろう。
私はこれから、どれだけの花と出会うのだろう。
私はこれから、どれだけの花を咲かせるのだろう。
落ちこぼれとは、結果ではなく、意志である。
顔も名前も知らない人に支えられ、顔も名前も知らない人を支えているという意志である。
心に詩を携えることは、今にも倒れそうな私を支えてくれる杖をもつことだ。
一つでもいいし、たくさんあってもいい。
今日も私は誰かの苦悩に、葛藤に、絶望に支えられて生きている。
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