本読むうさぎ

生きるために、考える

たゆたえども沈まず

人生、生きていれば様々なことに直面します。楽しい時間は一瞬で過ぎ、つらいときは一秒が経つのも待ち遠しい。

 

波にもまれるブイのように、浮きつ沈みつ、どこともしれず流れていく。松尾芭蕉は人生を旅にたとえましたが、海にたとえることもできるでしょう。

 

大海に放り出された私たちは、溺れまい溺れまいと手足を動かしてなんとかその場に浮かんでいます。大きな流れに揺られながら、一日一日をなんとか必死に生きています。しかし正確には、その場に浮かんでいるつもりが、知らないうちに遠いところに流されてしまっている。精いっぱいがんばっているはずなのに暮らしが楽にならないのは、潮の流れに逆らうことは容易でないからです。がんばらないとその日をやり過ごすこともできないのに、ましてや大きな流れに逆らうなんて、どれほどの胆力が必要なのでしょう。かといってすべてを諦め、投げ出すとあっという間に底に沈んでしまう。これでは、苦しむために生きていているようなものではないか。私たちは何のために生まれて、何をして生きていけばいいのでしょう。

 

原田マハさんの『たゆたえども沈まず』は、栄華を極めたパリの美術界に新しい風を吹き込もうとする若き日のフィンセント・ファン・ゴッホと日本人画商との交流を描いた小説です。大きな時代の流れの中で、その日の暮らしに汲々としながらも自分の芸術を追い求めるゴッホ。周りから認められない、家族の期待に応えられない。望みが叶うどころか、現実に打ちのめされしだいに心を病んでいく彼の姿は、私たちと重なるところがあるように感じました。

「たゆたえども沈まず」とは、パリの市の紋章にある標語です。もともとは漁民や船員のおまじないだったのが市民にも広がり、やがてパリ市民の象徴となりました。

パリは中心部を流れるセーヌ川を中心に発展していきました。ときには氾濫などの災害に見舞われながらも、決して沈まず、何度でも立ち上がってきたパリ。そんなパリに、セーヌ川に憧れてゴッホは絵を描き続けました。悩みに悩み、苦しみ抜いたゴッホだからこそ、今なお人々を惹きつける力が作品に宿っているのです。



つらく、苦しい人生という海を生き抜くために必要なものは、灯台の灯りと小島ではないでしょうか。

灯台の灯りとは、自分の位置を確かめるための道しるべ。くじけそうなとき、投げ出してしまいそうなときに、踏みとどまらせてくれるもの。それは必ずしも目に見えるものでなくてもいい。灯りがあると信じる。来年のあなたは、どこで、何をしていたいですか。誰といたいですか。10年後、20年後はどうでしょうか。

小島とは、その日を生きるため、疲れた体を休めるための場所。来年の姿が想像できないなら、今週はどうでしょうか。カラオケで思いっきり歌ったり、ちょっとお高いご飯を食べたり、ふと思い立って山に登ってみたり。このことを考えると気持ちが上がるというものをつくってみる。一つだと予定が合わないかもしれないから、いくつか用意しておく。小島から小島へ向かって泳ぐことで、だだっ広い海を目標をもって生きることができる。

 

灯台の灯りだけを追い求めていては、途中で力尽きてしまう。かといって、小島ばかり目指しても一時的な安らぎで、解決にはならない。要はバランスの話です。長い目で灯台の灯りを見据えつつ、近い目で目前の小島を頼りにする。そうやってときに潜り、また浮かび、けれども決して沈むことなく海を渡っていく。



先日、上司に退職の意向を伝えました。灯台の灯りが見えない状態だったので、それが見えるまで、小島で休むつもりです。辞めるという決断をするのも、上司に意向を伝えるのも、長い時間をかけ、悩みに悩んだ末に選んだ私の意志です。具体的な内容はまた後日話し合うのですが、「ああ、仕事を辞めるんだ」と思うと心が軽くなったように感じます。来年の私はどこで何をしているのでしょう。誰といるのでしょう。辞める決断をしたこと、上司に意向を伝えたことは、してよかったと思います。しばらくは好きなことをしながら、灯台の灯りを心にもとうと思います。たゆたえども沈まず。ときに波に襲われ、嵐に見舞われながらも、決して沈まず、生きていく。