本読むうさぎ

生きるために、考える

背筋を伸ばす言葉

  

  書く理由

 

  思ったことを

  書くのではない

  宿ったことを

  書くのだ と

  おのれに

  言い聞かせる

 

  何を どう書こうかと

  思いを巡らせることは

  ときに コトバが宿る

  邪魔をする

 

  宿りに求められるのは

  待つことだ

  書くときにも

  けっして劣らない

  真摯な態度で

  待つことだ

 

  これが

  自分の刻む

  最後の文章だと思って

  書くことだ

  それらは

  生者だけでなく

  死者たちにも届くと思って

  書くことだ

 

  この文章は 誰かが

  この世で読む

  最後の言葉に

  なるかもしれない

  そう思って

  書くことだ

 

   若松英輔『幸福論』(亜紀書房、2018年)

 

 読むたびに背筋が伸びる言葉というものがあります。私の言葉はこの詩です。

 普段の生活でどれほど「これが/自分の刻む/最後の文章だ」と思って書いたり話したりしているでしょう。自分が日常使っている言葉のなんと軽いことか。

 帰りに事故に遭うかもしれない。災害に見舞われるかもしれない。明日が来る保証などどこにもないのに、一日をいたずらに費やしている。明日は来るものと当然のように考えている。いや、正確には来るものとすら考えてはないでしょう。そんな私がこの世に最後に刻む言葉とは何でしょう。苛まれる苦悩を、焦がれる恋情を、泥にまみれた生き様を、その中に小さく輝く宝石のような幸福を、刻むことはできるのでしょうか。私が、この時代に、この場所で、生きた証を刻むことはできるのでしょうか。言葉が人を創ると言いますが、今日の私は、明日の私のために、どんな言葉を刻んだでしょうか。

 

 もう一つ、「誰かが/この世で読む/最後の言葉に/なるかもしれない」と思って伝えているでしょうか。帰りに事故に遭うかもしれない、災害に見舞われるかもしれないのは私だけでなく、あなたも同じ。私の言葉がこの世で聞いたり読んだりする最後の言葉になるかもしれない。

 もう明日には会えないとわかっている相手に何と言葉をかけますか。いじわるしたり、傷つけたりする根底には、明日も相手が生きているだろうという希望があるのだと思います。明日も生きている、顔を合わせられる、言葉を交わせる、だから冷たくできる。なんと贅沢なわがままでしょう。

 今日の私は、あの人にどんな言葉をかけましたっけ。ふとした一言で傷つけてたかもしれない。あの人を思って励ました言葉がかえって首を絞めていたかもしれない。這い上がろうとする意志を言下に否定したかもしれない。

 

 私たちはもっと言葉に意識を向けるべきなのではないでしょうか。いつでも、どこでも、誰とでもつながれる今の世の中だからこそ、丁寧に、慎重に、言葉を使う。揚げ足をとるのではなく、相手がその言葉を使っている背景に思いを巡らせる。そうすれば、私たちは今少し、歩み合えるのではないか。

 

 背筋を伸ばす言葉をもつということは、己を正す言葉をもつということ。迷ったとき、道を見失ったときの灯りとなって、あなたを照らすでしょう。