本読むうさぎ

生きるために、考える

町に出るとおもしろいぞ

ひとりでカフェで本を読んでいたときのこと。

話が一段落つき、ふと周りをうかがってみた。

左を向くと二人のマダムがパンケーキをほおばりながらほほほと語り合い、右を向くと大学生風の青年がルーズリーフにペンを走らせる。

女性と男性。二人とひとり。談笑と沈黙。

なかなかおもしろい対比なので休憩がてらお隣を観察することに。

 

マダムの会話はすごい。まったく途切れない。注文するところから話が続く。マダムたちより後に席に着いたうさぎが注文するときも「え~どうしよう」を繰り返してなかなか決まらない。ケーキセットが届いてさあ食べようとフォークを入れようとしたときに「やっぱりパンケーキね!」とようやく注文。パンケーキが届くまでもおしゃべりは止まらない。かに座が誕生した経緯の話をしている。気になるじゃないか。パンケーキが届けられて静かになるかと思いきや一口食べてまた話す話す。ご家族のこと、ご近所のこと、誰それのうわさ、などなど。よく話が続くものだな。

 

黙ることは許されないかのように延々と語り合うマダムたちから大学生風の若者に目を移すと、こちらはほとんど動かない。紙に何か書いてはケータイを眺め、また何か書く。その繰り返し。耳にイヤホンを詰め、自分の世界にどっぷり浸かっている。そのうちケータイを触る時間が長くなり、書く手をすっぱり止めてしまった。

 

マダムたちと若者。それぞれで見れば取り立てて珍しいわけでもなく、どこのカフェでも見られる光景だろう。しかし対比のように両隣になることで、ついつい見てしまう。

マダムたちや若者から見れば、うさぎはどう見えるだろうか。ひとりで本を読むぱっとしないやつに見えるだろうか。人を見るということは人から見られるということ。服装、動作、立ち居振る舞いからこんな人だろうと見られる。人はそこにいるだけで、どうしても誰かに影響を与えるものなのだ。では、うさぎは誰に、どんな影響を与えているのだろう。

 

家にこもっているとこんな考えは思いつかない。

町に出てみるとおもいがけない出会いがあったり、とりとめのないことを考えたりする。

二度と出会うことはないであろう人の、人生のほんの一時を垣間見る。それがおもしろい。

 

たまには町に出て、道行く人をじっくり見てみるのもいいものだ。