本読むうさぎ

生きるために、考える

原体験の話

いつごろから本を読んでいましたか?

 

うさぎは小学生のころからよく読む方でした。

『怪談レストラン』シリーズを借りては読みながら帰ることもありました。

 

 

 

当時は二宮金次郎は知らなかったので、金次郎像を見たときはなんか先を越されたような気がしたのを覚えています。

家が山間ということもあり、一緒に帰る友達がいなかったので一人でぶらぶら読みながら帰っていました。車を運転する立場になって思い返すとかなり危ないですね。

早く読みたくてしかたがなかった。続きを読みたくて、家まで我慢できなかった。

新しいゲームを買ってもらったときと同じ感覚。今は通販やダウンロードで買える時代なので、品物を手に持って帰るあのうきうきを感じにくいかもしれません。

手に感じる重み。

家に帰って取り出すひと手間。

1ページ目をめくるときの、現実から物語へ意識が意識が向かう感覚。

10年以上経った今でも鮮明に覚えている。

 

三つ子の魂百までということわざがありますが、幼いころの習慣や考え方が今の自分の根底にあるよな、ということを感じます。

社会人になってそれなりに社会の中で生きてきて、いろんな人や本と出会いました。新しい考え方や知識も増えました。でも、社会人になってから身につけたものは外付けのような感じがする。着せ替え人形の服みたいに、時や場面に応じて「着替える」ことができるもの。

それに対して、幼いころに身についた考え方や知識は人形自体。人形の骨格とか肌の色といった「着替える」ことはできないもの。

これからいろんな経験や知識が増えても、私の根底となる部分は変わらない。

10代のころに身についたものと、20代で身につけたものはまったくの別物。

 

身体能力や運動能力が著しく発達する時期をゴールデンエイジと呼びますが、10代とは何ものにも代えがたい黄金の時代なのでしょう。

 

宮崎駿さんの『本へのとびら』に次の一節があります。資格だとか試験だとかのためでなく、ただ楽しむために読む。いや、楽しいとも感じることなく、ひたすら、目の前の物語に没頭する。そういう原体験が、今までも、これからも、私をつくっていくのでしょう。

 

  子どものころって、本を読むのは、どこでも読み、あそこでも読み、ここでも読みするでしょう。勉強部屋の隅で読み、畳の部屋でも読み、あっち向いても読み、こっち向いても読み、それから早く寝ろと言われながら、寝床の中で隠れて読み続ける。どういう姿勢で読んでいたかは、自分では覚えていないんですよ。