「子どもが遊びにハマるのは、遊ぶこと自体が目的であるから」みたいな言葉を見た覚えがあります。
運動能力を高めるためとか、コミュニケーション力を育むためといった目的のためではなく、ひたすらに遊ぶことが楽しいから遊ぶのだ、といったニュアンスだったような気がします。
本を読むことも同じで、「読むこと自体が目的」であるから読むのが止められないのかもしれません。
仕事のための読書とか、記事のための読書となってしまうと読むのが辛くなります。
ある時期にはそういった読書があってもいいと思いますが、「読むことを楽しむ」感覚を忘れないようにしたいものです。
「読むことを楽しむ」を根幹に据えることで1ヶ月で何冊読んだとか、新刊の○○を読んだとかに惑わされることがなくなりました。
読みたいときに、読みたい本を、読みたいだけ読む。どっぷり読み耽る日があってもいいし、さらっと数行読んでほっぽり出す日があってもいい。
何を読んだか、どれくらい読んだかよりも、その本から何を感じ取り、考え方が大事ではないでしょうか。名著と呼ばれる本を100冊読んだとして、そこから学んだことや考えたことを言えなかったとしたら、それは寂しい読書でしょう。
逆に、たった一冊を何年かけて読んだとして、そこから人生への深い洞察が得られたのなら、それは豊かな読書と言えるでしょう。
何歳になっても、どんな立場になっても、「読むことを楽しむ」感覚を思い出し、読書を楽しみたいものです。