本読むうさぎ

生きるために、考える

人間らしい心を取り戻すために

毎日同じような、単調な日々を繰り返していると頭がぼんやりとかすみがかってきます。

浅い考えしかできない感じ。何を見ても触れても心がマヒしてぼんやりとする感じ。

 

このままじゃ人間らしい心を失ってしまうと、何か方法はないかと探していると詩歌療法という言葉に行き着きました。

a.r10.to

 

一言でいうと詩を読んだり作ったりすることで鬱屈した心を浄化するというもの。

 

詩(ここでは自由詩、俳句、短歌などの定型詩など幅広いものを含む)を読んだり作ったりすることで、次の2つのメリットがあります。

 

・ものの見方や考え方、すでに知っていることの変化(認知構造の変化)

・苦痛の感情が浄化され、無意識の緊張が解放される(カタルシス

 

様々な詩に触れたり、自分でも作ったりすることで今までの世界との接し方が変わったり、どろどろに腐った心が洗い流されたりすることができるとのこと。

これはまさに今のうさぎが求めていることではないか。

 

そう思ってさっそく詩や俳句を作ってみようと思ったのですが、まあすぐにできるはずもなく。

詩や俳句を作るというのは、ブログの文章を書く以上に「見られる意識」が働きます。「こんなの人に見せられない!」と恥ずかしがる気持ちが強く出てしまいます。

作るのは今のうさぎにはハードルが高そうなので、好きな詩をじっくり味わうことにします。

 

 

積もった雪  金子みすゞ

 

上の雪

さむかろな。

つめたい月がさしていて。

 

下の雪

重かろな。

何百人ものせていて。

 

中の雪

さみしかろな。

空も地面もみえないで。

 

積もった雪に優しく寄り添った詩です。

上の雪には冷たい月の光が差し、風が吹きすさびいかにもさむざむとしています。

下の雪が載せているのは単に物質としての人だけでなく、様々な思いもあるのでしょう。

 

そして何より、中の雪という視点。

空も地面も見えない、どこにも行き着くことができない孤独な雪の寂しさを見つめる作者の発想。

 

雪を人に置き換えてみるともっとわかりやすいかもしれません。

矢面に立ち、厳しい批判や叱責に耐える人。

人知れず努力し、支え続ける人。

私たちにも見えているはずなのに、そこにいると気づかれない人。

 

今の私はどの雪だろう。私は、どの雪に気づけているのだろう。

 

a.r10.to