「鬼の居ぬ間に洗濯」ということわざがある。
「主人や監督者の気兼ねする人がいなくなると、使用人や下位の者がくつろいで自由にする」という意味だが、むかしからこの言葉が苦手だった。
見張る人がいないときに自由にくつろぐというのはわかる。すごくわかる。
先生が空けた教室は無法地帯だし、悪いことをしていなくても交番の前を通るときは早足になる。
立場や階級が上というだけで圧迫感を覚えるのだから、目上の人がいなくてのびのびするというのはすごくよくわかる。
問題はなぜ見張る人がいないときに洗濯をするのか、だ。
洗濯といえばそれだけで一仕事だ。必要なものはネットに入れて、洗濯機に洗濯物を入れる。コースを選ぶ。洗剤、柔軟剤を入れる。洗濯が終ったらハンガーにかけて干す。取り込んでハンガーを外す。畳んで収納する。
一つひとつの作業はそれほどでなくても、一連の動作となれば疲れが溜まる。生活する人数が増えれば増えるほど洗濯物の量も増える。疲れが溜まる。しかも干したり収納したりするのにまあまあ時間がかかるわけで、やりたくない家事ランキングの上位に常に名を連ねる猛者なのだ。
なぜ見張る人がいなくて清々しているときにわざわざ疲れたり時間がかかる洗濯をしなきゃならんのだ。Yogiboに寝そべってポテチをぼりぼりネトフリ観覧すればいいじゃない。
誰か洗濯をしてくれる便利な人はいないものか。その人に家事を任せて自由を満喫したいけど、そこで気づく。
この構図、ことわざと同じだ。
さっきまで自分が下の立場だったのに、今は鬼の立場になって考えている。面倒ごとを人に押しつけ、自分だけのうのうとあぐらをかくのはまさに鬼の所業ではないか。
なるほど、人は自由を求めすぎると鬼になっていくのか。用心用心。
「鬼の居ぬ間に洗濯」というのは下位の者が自由に過ごすという意味だけでなく、気をつけないと自分が鬼になっているぞという戒めの意味もあったのか。一つ学んだ。
長々と語ったけど何が言いたいのかというと、まあ、目の前の洗濯物から目を逸らしたかったというだけです。