本読むうさぎ

生きるために、考える

私の手中にあるもの

生の犠牲の上に生を築こうとするのだ。人は、これを、次にはあれを、と考えをめぐらせ、遠い将来のことにまで思いを馳せる。ところが、この生の先延ばしこそ生の最大の浪費なのである。先延ばしは、先々のことを約束することで、次の日が来るごとに、その一日を奪い去り、今という時を奪い去る。生きることにとっての最大の障害は、明日という時に依存し、今日という時を無にする期待である。君は運命の手中にあるものをあれこれ計画し、自分の手中にあるものを喪失している。君はどこを見つめているのか。どこを目指そうというのであろう。(『生の短さについて』より)

 

仕事だの人間関係だのに振り回され、自分にとって大事なことが先延ばしになってはいないでしょうか。「明日という時に依存し、今日という時を無にする期待」という指摘はなかなかスパイシーですね。

「今を大事にしよう」という文句をいろんなところで目にしますが、では、何をすれば今を大事にしていると言えるのでしょうか。

 

「自分の手中にあるもの」をなくしてしまっていると語っていますが、私の手のなかには何があるのでしょうか。もしかすると、大事だと思って握りしめているものが実はそれほどではない、ということがあるかもしれません。今、一生懸命になっているもの、大事だと思っているものは、それをなくしたとして、どれほどの影響があるでしょうか。

 

私の手のなかには何があるのか。私は今を大事にしていると言えるのか。折に触れて確かめたいものです。

 

a.r10.to