本読むうさぎ

生きるために、考える

文章を書くことは人生と向き合うこと

書こう書こうと思っているうちにタイミングを逃してしまうことがある。

カミサマが気まぐれに落としていった思いつきでも、いつかギラリと出してやろうと懐に忍ばせていたアイデアでも、書くのにふさわしいタイミングというものがある。

そのタイミングを逃してしまうと、文章をひねり出すのに時間を食ってしまうし、なんとか文章ができたとしても、こちらの言いたいことの一割も言えていないおそまつなものになってしまう。

書くタイミングを見逃さず、伝えたいことを伝えたいように書けるよう、神経を研ぎ澄ましておく必要がある。

 

ブログにしろ日記にしろSNSにしろ、日常の一コマを切り取って言葉にしていることは共通している。

日常を切り取り言葉にすることは技術であり、経験であり、鍛錬だ。磨けば光り、さぼれば鈍る。

文章を書くことは人生と向き合うことと言ってもいいかもしれない。

 

寒い寒いと襟を立てたコートをハンガーに掛けて桜に見とれていると思えばつらいつらいと靴を睨んで次の休みを指折り待っている。

 

うかうかしているうちに時間は過ぎる。あっという間に今年も終わってしまう。

実際に文章を書かなくてもいい。「これは書けそうだ」と思うだけでもいい。文章を書こうと思うその時だけでも、人生と向き合う時間があってもいいのではないか。

そんなことを考えた今日である。