書くためには言葉を選ばなければなりません。
自分の思いをできるだけ正確に表している言葉はどれか。
読み手が理解しやすい、わかりやすい言葉はどれか。
書くということは、自分と向き合い、相手を思いやるということです。
自分と向き合わない、相手を思いやらない人の言葉には熱がない。どこかで聞きかじったことをあたかも自分が考えたことのように扱う。文字としての言葉しか見ていない。言葉をないがしろにしている自覚がない。枯れた言葉の絨毯を踏み鳴らしていることに気がついていない。自分と向き合わない、相手を思いやらない風潮がますます進んでいるように感じ、危機感を覚えます。
さらに悲しいことに、想像力を働かせることも少なくなりました。
SNSなどで短い文章でのやりとりが増え、易しい言葉が好んで使われるようになりました。また、気持ちを伝える絵文字やスタンプも毎日のように新しいものが作られ、もはや言葉を使うこと自体が減りました。
問題なのは、易しい言葉やスタンプが使われること自体ではなく、そうすることで想像力を働かせる場面が少なくなったことです。むしろ、想像する必要がなくなった。
頭を働かせる=わかりづらい
わかりづらい=よくない
頭を働かせる=よくない
という考えが広まっているように感じます。
受け取る側の想像力が問われることはなく、頭を働かせるもの、わかりづらいものは制作する側が悪い。そうなると制作する側もできるだけ想像力を必要としないものを作る。そうしてまた想像力を働かせる場面が少なくなる、という悪循環に陥ります。
想像力の源は言葉です。言葉をないがしろにするから、自分や相手のことを考えられない。
技術が発展することは悪くありません。昨日までできなかったことが今日はできるようになるというのはすばらしいことです。簡単に言葉を届けることができる、言葉を使わなくても思いを伝えることができるというのはすばらいしいことです。
ただ、使う側が技術に頼りきり、言葉をないがしろにすることが問題なのです。
書くということは、自分と向き合い、相手を思いやること。想像力を働かせるということ。
いつでも、どこでも、誰へでも言葉を届けられる時代だからこそ、言葉を大事にする姿勢がいっそう求められるのだと思います。