本読むうさぎ

生きるために、考える

映画館で観る、という輝き

自宅でいつでも映画を観ることができるようになり、映画館で観ることがめっきり減りました。

手軽に映画を観られるようになったのに、ふと思い出したときに強く心に残っているのは映画館の記憶です。

 

 

小学生の頃に始まったハリー・ポッターシリーズ。同じ年頃の子どもが箒に乗って杖を振るって繰り広げる大冒険が大好きで、最新作が公開されるたびに観に行っていました。

 

祖父がチケットを買っている間、隣でポンポン弾けるポップコーンを眺めたこと。

兄がしょっちゅうトイレに行くのを「落ち着きがないなあ」と冷ややかに思ったこと。

予告映像が楽しみだったこと。(映画館の予告映像はなぜかじっくり見てしまいます)

祖父の方をちらりと見ると舟をこいでいたこと。

見終わった後のファミレスで、兄が300gのハンバーグセットをバクバク食べるものだから、祖父に遠慮して150gをチビチビ食べたこと。

帰りの車から寝ぼけ眼で眺めた街明かりが綺麗だったこと。

 

そんな些細な、でもどこか温かい思い出に頬を緩ませることがあります。

 

 

高校生の頃に最終章が公開されたときは友だちと観に行きました。

「素晴らしい最後だった」と興奮気味に帰った数週間後、別の友だちから誘われました。観に行くのは構わなかったのですが、すでに一回観ていることを言い出せず、初めての体で観ました。

観ている間も「観ていたことくらい話せばいいだろう」と思う心と「いまさら話してもお互い反応に困るだろう」と思う心の板挟みに一人モヤモヤしていました。

 

小さいことでくよくよするのは昔からか。

 

 

大学生になると学科の友だち数人と自転車をこぎこぎ行きました。

ショッピングモールに併設されている映画館までの道中、最近あったおもしろいことやバイト先での事件、授業についてとりとめもなく話していました。

観たのは脳内ポイズンベリーでした。主人公と気になる相手が近づくために、いろんな感情が脳内会議を繰り広げる話で、思考と行動の関係性とか、恋愛が思考に与える影響とかがあるのかなと考えながら観ていました。大学生だから「なるほど!」と思う意見が出るはずだ。ぜひ友だちの意見も聞きたいものだと映画の感想を早く話したく仕方なかったです。

帰り道、まだかまだかと待っていると映画の感想の話に。さあ来た!どんな感想が飛び出してくるんだ。

 

「〇〇さんかっこよかったね!」

「△△ちゃんやっぱりかわいい!」

 

終わり。

えっ、終わり?俳優の感想じゃん。顔ならテレビでも見られるじゃん。思考と行動の関係性とか、恋愛が思考に与える影響とかは?えっ、そんなこと考えていたのは自分だけ??あ、バイトの話に移っちゃった……。

どうやら人によって映画を観る観点は違うらしい。自分の楽しみ方と友だちの楽しみ方のギャップに愕然とした瞬間でした。



映画の内容そのものよりも、映画館で観るという経験の方が数年、数十年後まで心に残るのかもしれません。

映画館が次々と取り壊され、数が少なくなっています。映画館が少なくなるというのは同時に、経験する場が少なくなるということ。寂しいものです。

映画館で観るという経験の中に、何か、大事なものがそっと紛れているのではないか。

映画を観る環境は変わっても、映画館で観る輝きは失われないでほしい。そんなことを考えます。