本読むうさぎ

生きるために、考える

あの日から12年、どう映るのだろうか

 

その時は放課後で、教室で友人と話していた。

空は雲一つなく晴れ渡り、暮れ始めた夕日が目に眩しかった。

家に帰ってニュースをつけると、画面の向こうでニュースキャスターの悲鳴のような声と、ぬらぬらと動く何かの映像が飛び込んできた。

家だ。家が動いている。波に押し流された家が、車が、木が、画面を横切っていく。

場面は変わり、上空からの映像が映し出された。

こちらも画面の端から端まで広がり、連なった波が、小指の爪ほどの大きさの家を次々と飲み込んでいく。人の姿は見えない。ニュースキャスターの悲痛な声は意味を為さず、耳を流れる。

 

それが、うさぎが見た東日本大震災だ。どす黒く濁った波。灰一色の空。平行移動する家屋、木材、看板。

映画のワンシーンかと思った。今、目の前で、現実に起こっていることとは捉えられなかった。

仕事から帰ってきた母がニュースを見て、黙って涙を流していたのが不思議と頭に残っている。

 

大学卒業を目前に控え、友だちから東北に行こうと誘われた。

いくつかの観光地を回り、地元の物を食べる一般的な卒業旅行なのだが、一か所、旅程に南三陸町があった。

震災から7年経った町には何もなかった。瓦礫は取り払われ、道や川の整備が進んでいたが、暮らしの面影と呼べるものはなにもなかった。ただ、広い広い空き地が見渡す限り広がっていた。風を遮るものがないから、海からの風をもろに受けた姿勢を保つのがやっとだった。耳には風が吹きすぎる轟音だけが響いた。

避難所となっている高台の中学校に上がると、グラウンドは仮設住宅の白い屋根で埋め尽くされていた。市街地に目を向けると、均された土の乾いた色が滲む向こうに爪ほどの白波が立っているのが見えた。

 

それが、うさぎが見たすべてだ。

何を知っているというわけでもない。何をしたという訳でもない。

町の惨状や被災した方の窮状に心を痛めるが、あくまで画面の向こうという意識があった。自分とは縁遠い場所で起きたという意識。同じ時代に生きる者としての当事者意識にどこか欠けていた。

 

災害と向き合うとは、どういうことだろうか。

災害のメカニズムを学び、できる対策を考えることだろうか。

いつ何があるかわからないから、今日という一日を充実させることだろうか。

災害の恐ろしさを後世に伝え、受け継いでいくことだろうか。

 

当事者とは呼べない距離の者にとって災害と向き合うとは、どういうことだろうか。

当事者とは呼べない距離の者だからできる災害との向き合い方とは、何だろうか。

 

あの日から12年が経つ。男子中学生もアラサーになった。長い長い月日だった。

震災と直面した、向き合った、支えた人たちにとって、この12年はどう映るのだろうか。

中学生だった男も酒が飲めるようになった。いつか、東北の地で酒が飲めたらいいな。