本を読む気力が湧かない。
視界の端や頭の片隅に読みかけていたり図書館から借りたりしている本があるけど、読む気になれない。
鉛のような手で取ってみるが、2行読んだら頭がいっぱいになる。文章として、文脈として入ってこない。
ぶらぶらと本屋を立ち回るのが好きだ。
買わないにしても、誰の新刊が出ているかとか、どんな特集が組まれているかとかを眺めて回る。息を吸えば、紙とインクのにおいを体に取り入れているかのような、言葉に満たされていく感覚になる。あの一時が好きだ。
でも、ここ最近、本屋に立ち寄っても息が詰まる。新刊の表紙に目を走らせただけで頭がくらくらする。せっかく来たのだからと出たい気持ちをぐっと抑えて文庫本コーヒーに顔を出すが、手に取ってみる気も起きない。ほんの2,3分で本屋から退散してしまう。
丸善で画本の山を積み上げた「私」も、こんな気持ちだったのだろうか。
得体の知れない不吉な塊が胸に巣くっている。お金がないとか、心を病んでいるとかがいけないのではない。「なぜ自分は生きているのだろう」という漠然と、どんよりと立ち込めた不安に抱かれている。
昼には落ちてしまう朝露のように儚いのが人生なら、なぜ人は生きるのだろう。なぜ自分は生きるのだろう。なぜ誰もかれも生きるのだろう。生きることと死ぬことに違いはあるのだろうか。
檸檬で丸善を爆破しようとした「私」は結局、想像の世界に逃げるしかなかった。一時の幸福なら得られるが、永遠に幸福でいることはできない。
本を読む気力が湧かない。
私はこわい。ただ死に向かって消費していくだけの毎日なのに、誰も素知らぬ顔でいることが。生きることがこわくはないのだろうか。それとも、みんな、生きることや死ぬことへの疑問をすでに解決しているのか。みんな、幸福な檸檬を手にしているというのか。足踏みをしているのは自分だけなのか。わからない。
檸檬を持たない者はどうやって今日を生きればいいのだろう。