本読むうさぎ

生きるために、考える

中学生の夏休み、言葉と出会った

中学生の夏休み、塾で入試の過去問を解いていたうさぎは胸がときめいていた。解いていた物語がおもしろかったからだ。続きが気になって気になって、塾を出たその足で本屋に向かったのを覚えている。

本との出会いはいろいろあるが、入試問題で出会うという経験はなかなかないかもしれない。

もう一つ。心を惹きつけた文章がある。これも中学生で読んだと記憶している。

長田弘『なつかしい時間』より。さまざまな道具や技術が発明された一方で、言葉への感性やリテラシーか貧しくなったことへの嘆息を綴った一節。

 

笑うは爆笑で、破顔一笑も呵呵大笑もない。わかったは了解で、合点も承知もない。頃合や時分を計るということもなく、なにより間や間合をとることが、人と人のあいだに、いつかなくなりました。

長田弘『なつかしい時間』)

 

当時は文意よりも、口上のような独特なリズムがツボにはまった覚えがある。

それから10年近く経ち、たまたま手に取った一冊にこの一節を見つけたときの驚きといったら。

年をとって改めて読むと、言葉のもつ味わい深さを思い知らされる。それと同時に、言葉を軽んじるうさぎの軽薄さも。

普段使う言葉だからこそ、どの言葉を使うのか、どのように使うのかという感性を大事にしたい。人は何かを自分に取り入れるとき、必ず言葉を使う。言葉には美意識が色濃く反映される。本との出会いは言葉との出会い。言葉との出会いは美意識の醸成。よくよく胸に刻んでおきたい。

 

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