見渡してみると私たちの身の回りはなんとまあモノで溢れていることでしょう。
モノを手に入れることにあくせくして、さて、手に入れた後はどうでしょう。
壊れたらすぐ捨てたり流行の先端を求めたりして、モノと添い遂げるということはすっかりなくなってしまいました。
長田弘は『なつかしい時間』で私たちのこれまでの「手に入れる」生き方について次のように語りました。
刻苦勉励して、希望や成功や幸福という「坂の上の雲」を手に入れながら、それらを手に入れたと思った途端に、むしろ目を見張るべき成果を、自らみすみす「坂の下の穴ぼこ」に落っことしてしまう。
モノを手に入れることが豊かさだと信じてきました。知識や財産、地位など、ありとあらゆるモノ求めてきました。まるで坂の上の雲をつかもうと手を伸ばすように。そうしてモノに囲まれて、息苦しくなった。モノは増えたのに、どこか満たされない。次から次へとモノを求めても満たされない。閉塞感と不満感という穴ぼこに落ちてしまったように空を見上げるばかり。そんな社会。
私たちが考えなければならないのは、どうやってモノを手に入れるかということから、手に入れたモノをどう使うか、ということではないでしょうか。
長田は「手に入れる」哲学から「使い方の」哲学への転換を投げかけました。
お金の手に入れ方からお金をどう使うか、時間の手に入れ方から時間をどう使うか、人生の手に入れ方からどのように生きるかへ、思考を進めることが私たちには必要なのではないでしょうか。
坂の上の雲を目指しつつも、足元の穴ぼこを見落とさないバランス感覚。モノに溢れる今の世だからこそ、大事にしたい感覚です。