本読むうさぎ

生きるために、考える

毎日を再生する

心や思考の拠り所を持つ人は幸せだと思います。

あるときは生き方の指針、またあるとは羽休めの憩い場というように、私が私であることを折に触れて確かめる作業が必要ではないでしょうか。

これが正しい、正解というものはありません。ただ、うさぎにとってそれは本でした。

長田弘という詩人がいます。彼の著書『なつかしい時間』はまさにうさぎの拠り所となっています。

本書に「再」への考えを綴った一篇があります。再読や再考など、「再」はふたたび、もう一度という意味で使われます。ですが、「再」が持つ意味はそれだけではないと言うのです。少し長いですが引用します。

 

再というときは、前からあったものをもう一度繰り返すというふうにとらえられがちですが、そうではなくて、新しい始まり、新たな意味というものを、いま現在のなかにもう一度みちびきいれようという、積極的な意味合いをつよく含めて使ってきたように思います。

 

「再」とは単に同じことを繰り返すことではなく、今までになかったもの、見落としていたものを「積極的」に取り入れようとすること。私がいま現在どこにいるのかを確かめ、いまの自分を受け入れようとする態度を意味します。地に足のついた、つまり、生活と密接に結びついた言葉なのです。

災害が起きたとき、「再生」とか「再興」という言葉がよく使われます。建物を立て直すとか、インフラを整えるといったことは再生でも再興でもありません。そこに生きる人が、人間らしく、また生活ができるようになることです。時間がかかるのです。目に見える成果だけを追い求めるのは「再」ではありません。長い時間をかけ、少しずつ、少しずつ、ときに挫け、ときに迷いながら私の生を生き直す。これが「再」なのです。

そう考えると、私たちは毎日を再生していると言ってもいいでしょう。現実に足をつけ、酸いも甘いも噛み分け、自分の現在地を確かめる。毎日を私の中に導き入れ、毎日を生き直す。そのような考えを持ってみると、あなたにとっての今日の意味も変わってくるのではないでしょうか。

 

a.r10.to