本読むうさぎ

生きるために、考える

人間観察は大人の自由研究

今週のお題「自由研究」

小学校の6年間、毎年自由研究と格闘していたはずなのに記憶がすとんと抜けている。

脳はいらない記憶を消去するらしいが、自由研究の記憶も丸めてポイされてしまったのだろうか。

人間観察が好き、という人は結構多いだろうと思う。通行人や店でくつろぐ人たちを見てどんな人物なのか、勝手気ままに妄想するあれ。歳を重ねると妄想力に磨きがかかり、ディテールまで凝った妄想を楽しんでいる。

服装や姿勢、仕草、言葉の端々にその人の人生が表れる。どんなに着飾っても隠し切れない深いところでその人らしさが滲み出るのだ。

 

二組の親子を見た。片方の母親は息子に「ばかだね」「なにしてんの」と投げかけ、眉をひそめていた。もう片方の母親は頬張る娘に「おいしいね」「楽しいね」と微笑みかけていた。

ほんの数分の、ほんの一コマを切り取っただけだ。どちらの母親が良いかを言いたいのではない。ただ、ほんの数分の、ほんの一コマにも、その人らしさが表れているのだ。

 

人間観察の目は次第に自分に向く。私から滲み出ている自分らしさは人からどう見えるだろう。自分の立ち居振る舞いは、周りにどんな印象を与えているだろう。

人間を観察することで、己を観察する。人間観察は大人の自由研究なのかもしれない。

そんなことを考えるうさぎの脇をこんがりと焼けた少年たちが走っていった。