「仏さまの指」という説話があります。
仏さまがある時、道ばたに立っていらっしゃると、一人の男が荷物をいっぱいに積んだ車を引いて通りかかった。
そこはたいへんなぬかるみで、車がずっぽりとはまってしまった。
男は懸命に引くけれども、車はびくともしない。
男は汗びっしょりになって苦しんでいる。
いつまでたっても、どうしても車は抜けない。
仏さま、はしばらく男のようすを見ていらっしゃったが、ちょっと指でその車におふれになった。
その瞬間、車はすっとぬかるみから抜けた。男は元気を取り戻して先を急いでいった。
男は仏さまから車を押してもらったことに気づいていません。自分の力で車をぬかるみから抜け出したと思っています。自分の力で成し遂げたと思えることにも、その背後には様々なものから助けてもらっています。
普段の生活で「助けてもらっている」ことを実感するのはほとんどありません。家があり、電気や水道が使えて、食べ物や着替えがある。何より、今日を迎えた命がある。どれも当たり前のことすぎて、わざわざ意識することもありません。ですが、数えきれない人やものからの助けがあって、私は今日を生きることができています。
私の力が及ぶ範囲は自分が思っているよりもはるかに狭い。いつも目に見えない人やものに助けてもらっている。
夢や目標を掲げる土台として、仏さまの指に意識的でありたいものです。