本読むうさぎ

生きるために、考える

「映え」の話

「映え」という言葉があります。「見映え」や「出来映え」、この数年では「インスタ映え」がトレンドになっています。

「映え」とは相手にどう見られるかを意識する感覚。「これを見た人はどう感じるだろうか」という視点、つまり相手を思いやる心のあらわれです。

提供する側はお客からどう見られるかを意識してモノやサービスを作るため、少しでも目に留めてもらおう、いい気分を味わってもらおうという思いやりが感じられます。

一方で、受け取る側が思いやりに気づいていない、と感じることがあるのです。SNSへの投稿をどうするかばかり考えて、その場の雰囲気を味わうことをしない。写真を撮ったらそこですることはおしまいで、次の撮影場所を探す。盛りを迎えた桜も隠れ家のような子洒落たカフェもいいねを増やすための小道具。使い捨てのコンタクトレンズと同じ扱い。カメラロールはどっさり溜まっているが、思い出にはほとんど残っていない。提供してくれた方へのリスペクトが欠けている気がしてならないです。

 

考えてみると、普段の生活でどれだけ「見て」いるのでしょう。

 

小林秀雄は「読書について」(中央公論新社、2013)の中で見ることについて次のように述べています。

 

  「今までに沢山の来客が、それで煙草の火をつけた訳だが、火をつける序でに、よく見て、これは美しいライターだと言ってくれた人は一人もない。成る程、見る人はあるが、ちょっと見たかと思うと、直ぐ口をきく。これは何処のライターだ、ダンヒルか、いくらだ、それでおしまいです。黙って一分も眺めた人はない。」

 

 

 

ちょっと触れただけ、ちらっと見ただけですべてをわかった気になることへの厳しい批判です。モノを深く味わうためには、1分でいいから、すべての意識をモノに傾ける姿勢が必要です。そういう姿勢があって初めて「見る」ことができるのです。ここでのたとえで言えば、ライターの装飾、重さ、手触り、ガスの匂いなどに意識を向けることでようやくライターを「見た」と言えるのです。

 

今日、あなたが最も長く、または多く見たモノは何でしたか。そのモノに向けて、どれくらい意識を向けましたか。写真を撮って終わりにするのではなく、数秒でいいので、ただ、そのモノと向き合ってみてください。色は、形は、重さは、質感は、匂いは、音は、味はどうなっているか。言葉にしなくていいので、ただ、「見て」ください。そうすれば、今まで見えていなかったものが見えてくるかもしれません。

 

「映え」という思いやりの心はいたるところにあります。それを受け取る感受性をもった人が今より増えると、もっとすてきな世の中になるのではないでしょうか。