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えたいの知れない不吉な塊が私の心を始終圧えつけていた。
「えたいの知れない不吉な塊」に囚われ、生きる輝きを見失った「私」の話。
病気や借金による苦しい生活がいけないのではなく、正体のわからない、漠然とした不吉さを抱えているのがよくないのだという。
生きる輝きを失わせるのは、現実に直面している問題ではなく、心の持ちようというのは、幸せを考えるうえで重要な視点だと思う。
私たちの生活は、快適に、豊かになる一方だ。
雨風や食料の心配をすることはないし、1日で国内のどこにでも行くことができる。遠く離れた人といつでもやりとりができるし、病気やけがをしたらいつでも治療を受けることができる。
日本を治めた徳川家康でもできなかったことが、庶民でも気軽にできる世の中になった。
モノもコトも充分すぎるほど整っている。
では、あなたは幸せかと聞かれたら、どう答えるだろうか。
「はい!幸せです!」と即答する人と「いやあ、ちょっと…」と歯切れの悪い人とではどちらが多いだろうか。
モノやコトが充実していることと、幸せであることは別問題なのである。
この話の「私」も、幸せになりたくて、幸せを探す中で檸檬と出会う。
ーつまりはこの重さなんだな。ー
檸檬の形、色、香り、重さが「私」が求めたものとピタッと合致したのだ。
その瞬間、「私」の胸を抑えていた不吉な塊は取り払われ、幸せとなった。
だが檸檬はモノである。色がくすんだり、形が歪んがりする。いつかは「私」が求める幸せからかけ離れてしまう。
手に入れた瞬間は幸せでも、形あるモノである限り、いつか失われてしまう。
だから「私」も、檸檬を手に入れた後で丸善を訪れると幸せが逃げてしまう。
モノやコトによる幸せはいつか終わってしまう。
檸檬による幸せだけでは不十分なのだ。
モノやコトによらない幸せ、心の持ちようを考えると、今のあなたより少しでも幸せになれるかもしれない。