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生きるために、考える

生きるために考える

 

 

永遠に幸せにはなれない

 中学生の頃、「あの人になりたい」と願っていました。「あの人のように」ではなく、「あの人に」です。うまくいかないことがあると「あの人だったらこうはならなかった」と問題をすり替え、自分を納得させていました。あれから10数年。「あの人になりたい」と願うことはなくなりましたが、今度は「なんで自分は自分なのだろう」という疑問が立ちはだかります。

 

 「なぜ人は生きるのか」「なぜ自分は存在するのか」という問いは誰しも一度は考えたことがあるでしょう。人によって答えは異なるでしょうが、どの答えも「幸せになるため」の点で共通しているはずです。では次の疑問は「幸せとは何か」となる。

 

 科学の発展度と幸福度は比例しないというデータがあります。私たちはナポレオンやマリー・アントワネットよりも快適で便利な生活をしています。東京大阪間を2時間半で行けるなんて言うと、100年前の人から正気を疑われたでしょう。飢えを感じることもなく、娯楽にあふれ、誰もが平穏を生きているはずなのに、幸せになれない。私たちは永遠に幸せになれないのでしょうか。

 

 仏教に「有無同然」という言葉があります。お金がなければお金を欲し、お金があれば失うことを恐れる。車をもっていなければ車を欲し、車を持っていれば維持管理に頭を悩ませる。なければないで憂え、あればあったで悩む。なぜなら幸せがお金やモノなどの有無とは別のところにあるからです。ではその幸せとは何か。これを考えていくことを説いています。

 

 生きるために、考えることが大切なのです。

 

生きるために考える

 ルートヴィヒ・ヴィトゲンシュタイン(1889~1951)はまさに生きるために考えた人物でした。 虫歯の痛みは本人にしかわからないものであり、痛みを共有することはできません。しかし私たちは虫歯になった人を気の毒がり、痛みに寄り添うことができる。なぜ人は人に共感することができるのか。次のステップを踏みます。

 

1 相手の様子(歯を押さえる、「痛い」と言う)から相手が「痛み」を感じていることを知る。

2 自身の「痛み」にまつわる記憶(足の小指をぶつけた、ほおをなぐられた)を引き出す。

3 そのときの自分の感情を思い起こす。

4 そのときの自分の感情と目の前の相手の感情が同質のものであるとみなす。

 

 互いに共通の土台に立っている人と人はつながることができる。つまり共通のルールをもっているからコミュニケーションは成り立つという言語ゲームという概念を提唱しました。

 

 彼は生きづらさの解決を言語に見ました。言語、つまり私たちが身を置いている文化や言葉を充実させることで人とつながることができる。生きるためには考えることが大切であり、考えるためには文化や言葉を充実させることが必要です。では文化や言葉を充実させるには?ここに幸せになるヒントがあるのではないでしょうか。

 

まとめ

 見てきたことを以下にまとめます。

 

・幸せはお金やモノとは別のところにある。

・文化や言葉を充実させることで考える幅が広がる。

 

 自分は幸せではないと思う人はこれらの視点から改めて考えてはいかがでしょうか。生きるために考える。今日も。