本読むうさぎ

生きるために、考える

護られる者と護られない者の境界線で 『護られなかった者たちへ』中山七里

 

 

はじめに

 福祉保健事務所という機関を耳にしたことはありますか。「福祉六法(生活保護法、児童福祉法、母子及び寡婦福祉法、老人福祉法、身体障害者福祉法及び知的障害者福祉法)に定める援護、育成又は更生の措置に関する事務を司る第一線の社会福祉行政機関」(厚生労働省HPより)のことで、数年前には生活保護を題材としたドラマもありました。

 生活保護という言葉はよく目にしますが、どのような制度なのか、誰が受け取っているのかなど、知らないところが多くあります。生活保護を望む人の申請がすべて通るわけではありません。護られる者と護られない者の差とは何なのでしょうか。

 

あらすじ

 仙台市で発生した連続餓死事件。被害者はいずれも人から恨まれていたとは思えない聖人のような人物ばかり。なぜ彼らは殺されなければならなかったのか。なぜ”餓死”という方法だったのか。事件の真相を追いかける中で、護られなかった者たちの姿が表れてきてー。

 

内容

全体のための奉仕者

 警察の捜査で、福祉保健事務所の業務と、それに務める人たちの姿が描かれます。国民の最後のセーフティーネットであるはずが、予算のひっ迫ですべての申請を認可するわけにはいかない現場。本当に必要な人が申請をせず、必要でない人が不正に受け取る現状。組織としての公平さと、実際に関わる個人の思いとの板挟みが生々しく描かれています。より多くの人や利益のために目の前の小さなことを諦めるか、周りへの影響を顧みず目の前の小さなことを掬いあげるかで悩んだことがある人は多いでしょう。行政の取り組みである以上、基準を満たすかどうかが護られる者と護られない者を生む一因なのでしょう。

 

歪んだ社会

 罪を犯した人は護られるべきなのでしょうか。一度でも罪を犯すと、社会のレールから外れ、二度と戻れないとすると、人生は死ぬまで綱渡りをするようなものなのではないでしょうか。

 綱渡りのような人生について、次の二つの発言を紹介したいと思います。

 

「一度でもネットの海に放り込まれた者はこうして半永久的に写真が残る。全国指名手配犯と何が違うのだろうか」

 様々なSNSが普及したおかげで、性別も国籍も、年齢も関係なくいろいろな人とつながることができるようになりました。誰とでもつながれる一方で、一度出回った情報がトラブルの発端になることも増えました。

 知られたくない過去は誰にでもあるはずです。広まった情報に尾ひれがつくのは当然のこと。そして広まった情報はずっとネットに残ります。それは全国指名手配犯の顔写真がメディアで写されるのとなんら変わりません。一度でもヘマをしたら全世界にさらされる。そんな綱渡りの中を私たちは生きているのです。

 

「変に犯人に同情的だったり、逆に厳罰主義だったりってのは社会が歪んでるんだ。まともな社会、まともな裁判なら罪と罰はイコールじゃなきゃいけねえよ」

 SNS掲示板に情報をさらしたり、誹謗中傷のコメントを残すといった私刑が当たり前になっています。過去の経歴を調べ上げられ、人間性を否定され、中には脅迫の電話やメールを送るといった犯罪行為も当たり前になっています。それぞれが思うままに感情や主張を押し通す社会は、常に争いが絶えない、殺伐としたものです。こうした社会を生み出しているのは、私たちのあまりに軽はずみな行為なのです。

 誰もかれもが互いに攻撃し合う世の中では、大切な人を護ることはおろか、自分を護ることも難しいでしょう。これからの世の中を生きるには誰かを蹴落とさなければならないのだとすれば、最終的には身体面や金銭面、社会的地位などが突出した人しか生き残れません。自分がそういう人になるか、そういう人を味方につけることが護られる者と護られない者の差なのだとしたら、何とも寂しいものです。

 

まとめ

 護られる者と護られない者の差について、社会保障とインターネットの側面から考えてみました。「行政のセーフティーネットにかかるための基準を満たすこと」と「身体面や金銭面、社会的地位などが突出した者になるか、そういうものを味方につけるか」が両者の差だとすると、はたしてどれくらいの人が護られる者になれるでしょうか。今はそうでも、1年後、10年後は?

 護られなかった者たちは、どうすればいいのでしょうか。この物語が、社会の在り方や自分の行動を見直すきっかけになってくれれば幸いです。