本読むうさぎ

生きるために、考える

老いるとは老けることではない

園児たちの寝息を聞きながら、老いへの恐怖に一人震えていた。

保育園の頃の話だ。広間で雑魚寝しているときにふっと不安が湧いた。

寝ているうちに家族が死んでしまったらどうしよう。

 

一度抱いた不安は消えるどころか、とりとめもなく広がっていく。

このまま年を取っていくと、祖父や祖母から死に、父と母が死に、兄弟が死に、そして、そしていつか、自分も死ぬ。

死ぬってなんだ。死んだらどうなるんだ。なんで死んだら死んでしまうんだ。

 

幼かったからはっきりと言葉にできたわけではない。言葉にできないからこそ、クモが全身を這うような、どうしようもない気持ち悪さに襲われていた。

ある程度成長していたら気持ちを文字にしたり、大声で歌ったりと発散する方法もとれたが、ひらがなも書けない子うさぎに何ができようか。しゃくりあげるだけである。

先生がすっとんできて具合が悪いのかどこか痛いのかとあれこれ尋ねても、べそべそしながら首を振るだけだった。

 

そんな原体験があるからだろうか、老いに対しては人一倍臆病であった。

老いとは体が衰えることであり、衰えるとはシミやシワができて、肌に潤いがなくなること。覚えていたことは次々と忘れるし、そつなくこなしていたことにも悪戦苦闘しなければならない。うさぎにとって、老いは生物としての機能の劣化を差していた。

 

ある時、老いには「老ける」という読み方もあることを知った。「老いる」と「老ける」。似ているようでどこか違う言葉。

「老いる」は実際に年をとること、「老ける」は年をとっているように見えることを指すらしい。

「老いた少年」とは言えないが「老けた少年」とは言える。年をとっても若々しく瑞々しい人がいる一方で、年若いのに視野が狭く、頑強で、短絡的な人もいる。老いることと老けることは必ずしも一致しないのだ。

 

子うさぎが恐れていたのは「老ける」の方だったのだと気づいた。年をとること自体ではなく、自分のもつ可能性、生きようとする躍動がしなびてしまうことが恐ろしかったのだ。

 

年をとることは悪いことではない。年をとっても、若く、瑞々しくいられる。

老いることは止められない。ならば、せめて、美しく老いたい。見た目の話ではなく、生き方の話。ものの見方、考え方、感じ方、受け取り方、それらを鈍らせず、むしろ磨きあげて生きたい。

 

a.r10.to