本読むうさぎ

生きるために、考える

自分はどう生きたいのか

ウィトゲンシュタインという哲学者がいます。ヒトラーと同じ年に生まれ、戦争を経験し、悩み、挫け、その中で考えることを止めなかった人です。

彼は人生を通して「生きるために考えた」人でした。生きることとは考えることであり、考えることとは自分自身や世界に目を向けることです。

 

彼の遺稿をもとに作られた『哲学宗教日記』に次のような言葉があります。

どのように生きるのかを考え続けよ

わたしたちが問われていることとは何か。人間の問題とは何か。

それは、どのように生きるのか、ということだ。

人間の問題とは、このぬくもりの場所に安楽に座り続けることではない。

とどまらずに立ち上がり、歩みを止めずに、いつかは必ず迎えなければならない死の時に刻々と向かいながらも今をどう生きていくのか、ということだ。

 

人間関係やお金で悩むのは「自分の生きたいように生き」られないからです。自分の望みと食い違うから、不安になり、恐れ、怒るのです。

では、「自分の生きたいように生き」るとはどういうことなのでしょう。

自分は何をしたいのか、逆に、何をしたくないのか。何に喜びを感じ、何に悲しみを覚えるのか。

これらの問いに答えられるでしょうか。その答えに納得はいくでしょうか。

 

心は揺れ動くもの。10年前の自分と今日の自分とで考えることは違います。

その時々で自分はどう生きたいのかを問うことは、クライミングで岩場に杭を打ち込むように、生きた証を刻むことです。生きた証を足がかりにして、これからの生へと向き合っていくのです。

 

テレビやネットを見ればガヤガヤと騒がしく、生きているような錯覚になります。しかし電源を切ったあとで自分の中に何が残るでしょう。なんとなく生きた心地になるのではなく、自分の意志で生きたと実感するために考えることが大切です。

 

考えることは道具も場所も必要としません。信号待ちをしているときや、お風呂に入っているときなと、いつでも行うことができます。

 

今日も自分に問いかけます。

「自分はどう生きたいのだろうか」

 

a.r10.to