本読むうさぎ

人間と名乗るにはまだ未熟なうさぎ。考えるとは生きること。生きるために書いています。

歩くことはノスタルジーであり、世界とつながること

今週のお題「となり街」

 

小中学生の頃の移動手段と言えば徒歩だった。

うさぎの地元は街の中心部から離れた麓だった。

坂が多く、自転車は使えなかった。

バスは通っていたが、バス代を捻出できるほどの小遣いをもっていなかったし、中心部まで歩いて行けない距離ではない。

自然、歩いての移動となる。

 

坂を駆け下り、団地を抜け、幽霊が出ると噂のトンネルをビビりながら通って学校へ通った。

歩きながらいろんな物を見た。

ガードレールの柱に隠れるように咲く花。

雨の日に、石垣をはい回るなめくじ。

季節の移り変わりの、何て言っていいかわからない、空気の変化。

雲を見れば降りそうかそうでないか予測が立てられるようになった。

今振り返ると、誰に教えてもらうでもなく自分で、世界との向き合い方を知っていったように思う。

 

人は、歩く速度でしか世界を捉えることができない。

徒歩で移動することが減るにしたがって、変化に気づくことができなくなった。

毎日の空気の違いを感じることも、雨の匂いを嗅ぎ取ることも、空の青さの色合いを見分けることもなくなった。

歩くことが減ると、世界とのつながりが絶たれるような感じがする。

 

夜に散歩に出ることがある。

湿り気を帯びた生暖かい風を肌に受ける。

星が瞬く日もあれば薄曇りも日もある。

遠くで虫が鳴いているかと思えば、すぐ近くに聞こえることもある。

歩いていると、身体の中に世界が染み入るような、世界の中に身体が溶けだすような感覚になる。

 

隣町へ向かう途中、町を見下ろす峠がある。

なんてことのない田舎町だ。目を引くおもしろさがあるわけでもない。

でも、うさぎの住む町だ。

「郷愁」というのは、歩くからこそ感じられるのではないか。

歩くことで世界を感じ、世界に入り、世界の中に自分の居場所を見出しいていく。

歩くことはノスタルジーを感じることであり、ノスタルジーとは世界とつながること。

私たちは、もっともっと歩かないといけないのではないか。

遠くでなくていい。隣町まで、歩いてみる。

世界に居場所がないと思われるときには、歩いてみてはどうだろうか。