本読むうさぎ

人間と名乗るにはまだ未熟なうさぎ。考えるとは生きること。生きるために書いています。

言えないことなのに どうして伝わるのだろう

書きたいことがあったはずなのに、いざ打ち込もうとすると言葉が出てこない。

頭ではものすごい勢いで想いが溢れ、ぶつかり合って砕け、それを新たな想いが飲み込込む、そんな感覚がある。

人は自分の想いでさえ、十分に汲み取ることができない。

一方で、拙くて不器用な言葉がかえって深く伝わることもある。

言葉を尽くすよりもたった一言、思わずこぼれた言葉が救うこともある。

 

人は言葉を使わないと想いを伝えることも、受けとめることもできないのに、言葉を使いこなすことができないどころか、言葉が邪魔になることだってある。

 

 

BUMP OF CHICKENの『花の名』という曲は次の歌いだしから始まる。

 

簡単なことなのに どうして言えないんだろう

言えないことなのに どうして伝わるんだろう

 

私たちは一日のうちに、どれだけの想いを伝えているだろう。

また一方で、どれだけの想いを伝えずにいるのだろう。

伝えようと思い、言葉を探し、言葉を並べ、後は口を開いて音にするだけなのに、できない。

沈黙が流れる。何か言わなければと必死になるがどうしても言えない。

言えないのに、なぜか、伝わる。

 

生きていることのなつかしさに

ふと胸が熱くなる

そんな日があってもいい

そしてなぜ 胸が熱くなるのか

黙っていてもふたりには

わかるのであってほしい

 

吉野弘の詩『祝婚歌』にこんな一節がある。

 

a.r10.to

 

私たちは言葉を届けているのではなく、想いを伝えている。

言葉は想いを伝えるための手段の一つであり、大事なのは何を言ったかではなく、何が伝わったかだ。

それはつまり、「生きていることのなつかしさ」をわかち合うということだ。

 

『花の名』は次のように続く。

 

僕がここに在ることは あなたが在った証拠で

僕がここに置く唄は あなたと置いた証拠で

 

「生きていることのなつかしさ」をわかち合ったときに初めて人と人は繋がる。

私が今、ここで、生きているということは、かつて、誰かと繋がったことの証明である。

言葉や食べ物、サービスなどあらゆるモノを通じて、私たちは誰かと繋がっている。

そう考えると私たちは、一人のときでも、孤独ではないのではないか。

私は今日、誰と「生きていることのなつかしさ」をわかち合っただろう。

私は明日、誰と「生きていることのなつかしさ」をわかち合うのだろう。

 

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