本読むうさぎ

生きるために、考える

桜の美しさと哀愁

桜で一句詠みたいものだけどどうにも思いつかない。

表現するって何とも難しいものだな。

 

さまざまの 事思ひ出す さくらかな  松尾芭蕉

 

限られた音数で場面を、心情を描くのが俳句の楽しみ。

言いたいことのあれこれを削って省いて捨てる。そうして研いで磨いて光らせた言葉だからこそ、時代を隔てても読む人の心に届くのだろう。

 

散る桜 残る桜も 散る桜  良寛

 

読んだ後も心に引っかかりを残す、わかったようでわからないもの。余韻と呼ぶような爽やかなものではなく、いつまでも燻って煙を上げるようなモヤモヤとしたもの。案外、そういうものをいつまでも覚えているものだ。

良寛の辞世の句と言われているこの句も、わかったようでわからない、モヤモヤとした何かを心に残す。でも惹きつけられる。文字のずっと奥に、何かがある気がする。

文字を見つめていればいつか見えるのだろうか。今、目の前で咲いて、散ろうとしている桜と向き合えば見えるのだろうか。

 

いつの世も 心を誘う さくらかな  うさぎ

 

表現する方法は変わっても、桜に惹きつけられる心そのものはいつの時代も共通していると思う。

桜を見て目を奪われる。あ、桜と思う。足を止めて眺めるかもしれない。近くによって写真を撮ることもあるだろう。人に会えばどこそこに咲いていたと話すかもしれない。

技術では雲と泥、月とすっぽん、象とアリほどにも離れているが、桜に惹きつけられるという一点だけは、俳人たちと肩を並べられる。

あ、桜だ。桜だねえ。彼らとそんな会話ができたらいいなと思う。