もはや
できあいの思想には倚りかかりたくない
もはや
できあいの宗教には倚りかかりたくない
もはや
できあいの学問には倚りかかりたくない
もはや
いかなる権威にも倚りかかりたくない
ながく生きて
心底学んだのはそれぐらい
じぶんの耳目
じぶんの二本足のみで立っていて
なに不都合のことやある
倚りかかるとすれば
それは
椅子の背もたれだけ
茨木のり子『倚りかからず』
ネットを開けばありとあらゆる情報を得ることができます。
その中から、正しい情報を選び、扱うには自分の軸を持っていなければなりません。
借り物の知識で世の中を知った気になって、誰かよりも偉くなった気になって、でも中身は空っぽのがらんどう。空虚な本質を隠すように知識を上から貼り付ける。そんな自分になっていないか、立ち止まり、じっと見つめるときにこの詩を思い出します。
誰かが作ったものばかりを頼りにしていては自分を生きることはできません。まさに「じぶんの耳目 じぶんの二本足」で立つことが、自分を生きる出発点なのではないでしょうか。
様々な問題やそれへの意見を聞いたときに「自分はどう考えるか、自分ならどうするか」を問いかける。自らに問い続けることが、自分を生きることにつながるのだと思います。