苔むした石段を登りながら、こう考えた。
誰もかれも他人にかまけて、自分を見ようとしていない。
〇〇と△△が結婚した。▢▢が不倫した。こんなバカなことする奴がいた。ネットを開けば当事者にしか関係のないことが次から次へと流れてくる。それに対してああだのこうだの毒にも薬にもならぬ私見が垂れ流されている。「私を見て!」と叫ぶ口から腐った匂いがする。
反応してもらうこと、見つけてもらうことに躍起になって自分に目を向けようとしない。
山はどこまでも独りだ。立ち止まれば自分の存在が飲み込まれる感覚になる。山を歩くと意識は自然と自分に向く。
体力はどれくらい残っているか。水分や食べ物の補給はまだいらないか。痛いところ、不安なところはないか……。
体に向いていた意識は次第と内面へ入っていく。
今の生き方に満足しているか。何が好きで、何が嫌いなのか。これからどう生きていきたいのか……。
答えは出ない。同じ問いを何度も何度も問いかける。
森の中は薄暗いが、梢の先に見える空は澄み渡っている。
抱きかかえられない太さの幹は真っすぐに伸び、枝には青々と葉が茂っている。
自分をはるかに超えた存在に息を飲む。
山を下り、家に帰り、眠りに就く時も杉林の景色が貼り付いて離れない。
あの杉は夜の中で立っているのだろう。誰に見られることも、思い出されることもなく。
羨ましい気がして眠りに落ちていく。