はじめに
本を読む時間がない、時間はあっても、ついスマホを触ってしまう。
こんな経験はないですか。
なぜ働いていると本が読めなくなるのでしょう。なぜ、時間ができてもスマホを触ってしまうのでしょう。
時間と読書の関係を考えてみました。
時間がかかることは「悪」である
現代の労働は、労働以外の時間を犠牲にすることで成立している。
「時間」を重視する考え方はますます広まり、「コスパ」や「タイパ」という言葉をあちこちで見かけます。時間がかかることは「悪」として忌避され、時間がかからないこと、手早く済むんだり、空いた時間でできることは「良」として歓迎される。
効率を高めることで時間を生み出して、さて、人々は豊かになったでしょうか。
時間に余裕が出ると、次の問題はその時間をどう使うかになります。
その結果、別の仕事をこなしたり、副業を始めたりと、さらに負荷をかけるようになりました。
「ワークライフバランス」という歪さ
ワークライフバランスという言葉がありますが、本来はライフ(人生)の一部分にワーク(仕事)があり、自転車の車輪と補助輪のような関係です。なのに、「仕事と人生の調和を図る」なんて言い出したことで、両者が同じ比重で語られるようになりました。
『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』はタイトルの通り、働いていると本が読めなくなる理由を、明治時代以降の労働と読書の歴史から紐解いていきます。
なぜ労働と読書は両立しないのか、そもそも、なぜ本を読むようになったのか、時間があると人は本を読むようになるのか、興味深い問いを立てています。
知識と情報の違い
過去や歴史とはノイズである。
本書では「情報=知りたいこと 知識=知りたいこと+ノイズ」と定義しています。
「ノイズ」とは、自分以外の他者の文脈のことで、歴史的な背景や、知りたいこととは直接関係のない情報のことです。
ネットから得られる情報や、ゲームというのはノイズが入っていません。自分が欲しい情報だけを得ることができるので、手間がかからず、コスパがいいです。
それに対して、本には自分が知りたいこと以外の情報も載っています。知りたいことが明確に書かれていない場合もあります。スマホと比べて、知りたいことを得るまでにどうしても時間がかかるものです。
読書とは、自分から遠く離れた他者の文脈(ノイズ)に触れることであり、そこには必ずある程度の時間を必要とするものです。
「読書離れ」が問題視されていますが、仕事で身も心も疲れているところに時間をかけて他者の文脈に触れるのは、ハードルが高いように思われます。
手早く、ノイズの入らないネットやゲームに流れてしまうのも無理はないでしょう。
時間があると本を読むようになるか
読書に限らずですが、何かができない理由として「時間がない」が挙げられます。
では、時間があればそれはできるのでしょうか。
旅行などの長い時間を必要とする場合は別として、それこそ、読書はどうでしょう。
朝起きてから家を出るまでの間。移動中。休憩時間。帰宅してから眠りに就くまでの時間。本を読む時間はわずかでもないでしょうか。
SNSや配信を見たり、聞いたりなどする時間はありませんか。
その時間を読書に充てればいいのに、それができない。
つまり、「時間があると本を読むようになるのか」という問いの答えは「ノー」です。
時間があるからといって、本を読むかといえば、そうとはいえません。
時間だけでなく、心身の状態、落ち着ける環境、コミュニティなど、いろいろな条件が揃うことでようやく読書に取り組むことができます。
時間を重視する現代だからこそ、時間以外のものに目を向ける必要があります。
時間以外のものに目を向けるというのは、ノイズに触れるということでもあります。
つまり、読書をするには、時間以外のノイズに耐える力が求められます。
おわりに
読書ができないと悩んでいる方は、時間以外のところに目を向けてみてはいかがでしょうか。
心や体が疲れきっていませんか。部屋がごちゃごちゃしていたり、騒々しくなっていたりしていませんか。余計な人付き合いはありませんか。
もしかすると、今本当に求めているのは読書ではないのかもしれません。