今日もおつかれさま。
そんな私にブラウニングの『春の朝(あした)』(上田敏訳)を贈ります。
時は春、
日は朝、
朝は七時、
片岡に露みちて、
揚雲雀なのりいで、
蝸牛枝に這い、
神、そらに知ろしめす。
すべて世は事も無し。
( )の読みは筆者がつけています
「ピパが通る」という劇の中の歌で、少女ピパが丘の上で無心に歌ったそうです。
春のすばらしさ、美しさが五音と七音の心地よい響きで歌われます。
朝(あした)、七時(ななとき)、露(あげひばり)、蝸牛(かたつむり)と視覚的なイメージが次々と挙げられたかと思えば一転、神へと視座が高まります。
「そら」がひらがななのは、空間としての空を物理的、時間的に越えた、より広いものとして描いているのでしょうか。
最後の行の「すべて世は事も無し。」は「神様が見ていてくださるから天下泰平だ」というよりも、神様すらも先に挙げた春のイメージの一つと捉えて春の美しさを表しているように思います。
すべて世は事も無し。胸を張って言える一日を送りたいものです。