本読むうさぎ

生きるために、考える

嘆きと努力の橋渡しが詩の力

心は言葉によって育まれると考えています。

何気ない一言に慰められるときもあれば傷つけられるときもある。

街角の広告の一文に心打たれたり、ふと開いた1ページに気づきを得たりするときも。

歌に聞き入ることで悲しみを和らげ、腹の底から歌い上げることで苦しみを乗り越えた人も少なくないでしょう。

 

言葉を知り、言葉を使うことで心は強く、しなやかになっていくのでしょう。

 

 

心について考えるとき、萩原朔太郎の『こころ』を胸で諳んじます。

 

こころをばなににたとえん

こころはあじさいの花

ももいろに咲く日はあれど

うすむらさきの思い出ばかりはせんなくて。

 

こころはまた夕闇の園生のふきあげ

音なき音のあゆむひびきに

こころはひとつによりて悲しめども

かなしめどもあるかいなしや

ああこのこころをばなににたとえん。

 

こころは二人の旅びと

されど道づれのたえて物言うことなければ

わがこころはいつもかくさびしきなり。

 

心を「あじさいの花」「夕闇の園生のふきあげ(噴水)」「二人の旅びと」と例えてもなお表しきれない私の心。言葉を尽くしても語ることができない心の在り様を「こころをばなににたとえん」と嘆いたのかもしれません。

 

あることについて語ろうとすればするほど語りたいことからずれていくような感覚になることがあります。オーストリアの哲学者ウィトゲンシュタインは「語り得ないものについては、沈黙しなければならない」と述べ、そのものの素晴らしさを守るには言葉を尽くして語るべきではないと説きました。

ここで注意したいのは、沈黙=考えないということではないことです。心の在り様を語ることができないからといって、心について考えることを止めてしまえば、心は貧しいものになってしまうでしょう。

 

語ることはできないけど、心を見つめ、考え続ける。「こころをばなににたとえん」と嘆きながら、それでも言葉で表そうと努力する。そうすることで人の心は磨かれていくのではないでしょうか。この嘆きと努力を橋渡しするのが、詩の力だと信じています。

 

a.r10.to

 

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