本読むうさぎ

生きるために、考える

あどけない話 高村光太郎

あどけない話  高村光太郎

 

智恵子は東京に空が無いという、

ほんとの空が見たいという。

私は驚いて空を見る。

桜若葉の間に在るのは、

切っても切れない

むかしなじみのきれいな空だ。

どんよりけむる地平のぼかしは

うすもも色の朝のしめりだ。

智恵子は遠くを見ながら言う、

阿多多羅山の山の上に

毎日出ている青い空が

智恵子のほんとの空だという。

あどけない空の話である。




智恵子のいう「ほんとの空」とはどんな空なのだろう。

「私」が桜の若葉に透かして見るきれいな空は「ほんとの空」ではないという。

智恵子のいう「ほんとの空」は目の前に見えている空ではない。

阿多多羅山の上に見える空だという。

 

阿多多羅山(あたたらやま)は高村光太郎安達太良山(あだたらやま)の濁音を取ってつくったという話がある。

安達太良山は智恵子のふるさとの山である。

遠い故郷の山だ。

病床の智恵子は何度もふるさとの山を思い描いただろう。

何度も何度も思い描くうちに、水を漉すように、余計な部分が取り除かれ、理想の山ができたのだろう。

 

「思い出は美化される」というが、遠くを見つめる智恵子はどんな表情をしていたのだろうか。

智恵子の表情を見て、作者はどのような思いをしたのだろう。

何度も何度も二人を思い描くうちに、理想の二人をつくっているのかもしれない。

 

なんともあどけない話である。