小さい頃は夢に溢れていた。
雲に乗って空を飛びたいとか、宇宙人と仲良くなりたいとか、叶う叶わないではなく、「こうなりたい」という思いをひたすらに抱いていた。
中でも、「ホールケーキを丸ごと食べたい」という夢にずっと憧れていた。
ホールケーキを食べる機会などめったにない。誕生日といえど大抵はショートケーキだ。ちょっとした幸運が重なり、ホールケーキを食べる機会があっても家族で分け合うため、自分の皿には切り分けられた断片が載せられる。できるだけ長く味わうようにちびちび食べる自分が惨めな気がした。
そんなだったから、ホールケーキを、一人で、かぶりつくように食べたいと思うようになったのは当然だったろう。
大学生となり一人暮らしを始めてしばらく経った頃、街角のケーキ屋の前を通り過ぎたときに雷が落ちた。
今なら、ホールケーキを、一人で、かぶりつくように食べられる!
積年の願望を叶えられると気づいたときの感動はまさに雷に打たれたような衝撃だった。
ホールケーキを抱えて帰路に着いたあのときほど幸福だったことはないだろう。
家に着き、箱からケーキを取り出す。真っ白い箱から白地にところどころ赤が映える4号が顔を覗かせた。
ナイフで切り分ける必要などない。フォークを直に突き刺す。なんだか悪いことをしているような背徳感がまた心を踊らせる。
最初の一片を口に入れる。ああ、甘い、うまい。これがまだまだ続くのか。最高だ。ありがとう……
フォークから落ちそうなほどのケーキも、中央に鎮座する丸々としたイチゴも一口で食べる。この世の幸福はここにあったのだ!
ところが途中から異変が起きた。まだ半分ほど残っているのにフォークが進まなくなったのだ。なんてことはない、飽きてしまったのだ。
そんな!ばかな!まだ食べられるのに!体がもういらないと言っている!
無理やり4分の1まで食べ進めたが、苦行のような時間だった。幸福の頂上から泥沼に突き落とされた気持ちになった。
食べきれなかった分は後日食べたが、無味乾燥のスポンジを食べているようだった。
「過ぎたるはなお及ばざるがごとし」という言葉があるが、数千年経とうが人間が悩むことは変わりないのかもしれない。
ケーキ屋の前で小さい子どもが駄々をこねていた。どうやら自分が望んだものと違うケーキだったみたいで、しゃくり上げながら陳情していた。
彼がホールケーキを買えるようになった頃に、絶望を味わわないでほしい。十数年後の彼の姿を想像したら、放心したようにホールケーキを見つめるあの日の自分が浮かんできた。