本読むうさぎ

生きるために、考える

「学校では教えてくれない〇〇」への反感

 「学校では教えてくれない〇〇」という謳い文句をテレビや書籍、SNSで目にすることがあります。腹立たしい限りです。

 誰もが通ったことがあり、学校とはこういうものだという認識を互いにもっているため、多くの人から支持されるでしょう。ビジネスから見るとよく考えられた文句です。

 問題は、それを拾い食いする人たちです。彼らが持論を展開するための枕詞として使うようになったせいで、知らないことがあったり、うまくいかないことがあったりしたときの言い訳のテンプレートになってしまいました。

 

「だって学校で教えてもらってないもん!」

 

 学校は基礎的な学力や集団での過ごし方、社会でのルールや取り決めを学ぶ入り口です。ドラクエでいうはじまりの村です。身につけられるのはメラとかギラといった初歩的な呪文です。村を出たら草原に行くなり洞窟に潜るなり、自分で道を切り拓いていくのです。その中でメラをメラゾーマまで高めたり、ラリホーを覚えたりなど、必要な力を自分で身につけるのです。ここを勘違いしている人が多い。

 

学校は入り口

 

 学校で教えてもらっていないからうまくいかない、というのは学んでこなかったことの責任転嫁です。たかだか6~9年ぽっちで学んだことで、100年近くある人生を難なく過ごせるととでも?

 

 自ら学ぼうとする姿勢を育めなかったのは学校の責任という面もあるでしょう。しかしそれも、学校を出てから自分で身につけることができるものです。「村でメラゾーマを教えてくれなかったもん!」とできないことをいつまでも他のせいにしたところで目の前のゴーレムを倒せるわけがない。

 

 社会人になって、いろんなことに首を突っ込むのが楽しくなりました。世界はこんなに知らないこと、できないことがあるのか!と腹の底からぞくぞくする興奮がたまりません。

 世界は広く、自分が思っているよりももっと自分の世界は狭い。

 はじまりの村を出てからずいぶん経ちました。今日はどこに行こうか?