本読むうさぎ

生きるために、考える

汚れつちまつた悲しみに……  中原中也

汚れつちまつた悲しみに……  中原中也

 

汚れつちまつた悲しみに

今日も小雪の降りかかる

汚れつちまつた悲しみに

今日も風さへ吹きすぎる

 

汚れつちまつた悲しみは

たとへば狐の革裘

汚れつちまつた悲しみは

小雪のかかつてちぢこまる

 

汚れつちまつた悲しみは

なにのぞむなくねがふなく

汚れつちまつた悲しみは

倦怠のうちに死を夢む

 

汚れつちまつた悲しみに

いたいたしくも怖気づき

汚れつちまつた悲しみに

なすところもなく日は暮れる……



「悲しい」と思う心は、親から教えてもらうものでも、教科書に書いてあるものでもない。商品棚に並んでいるものでも、SNSでいいねされるものでもない。

「悲しい」と思う心は、誰もが生まれながらに持ち、時間をかけて育んできた、その人だけの心だ。

感情が安売りされていると感じることがある。映画の宣伝で使われる「全米が泣いた」のフレーズ。「泣けるアニメ」でずらっと出てくるアニメ一覧。「涙活」という言葉が流行ったこともあった。

悲しむこと、泣くことはエンターテインメントとなった。人それぞれのはずの「悲しい」と思う心はパッケージ化され、値段がつけられ、評価されるようになった。

私の「悲しい」とあなたの「悲しい」は違う。あなたの「悲しい」は本当にあなたの感情だろうか。周りに流されたり、流行りに乗ったりしてはいないだろうか。

 

中原中也の時代から80年以上が経った。

彼の時代の「汚れつちまつた悲しみ」とはどんなものだったのだろう。

私たちの「汚れつちまつた悲しみ」に今日は日は暮れる。